僕がコメづくりをやることに決めたのは、前回の記事で書いた宮崎さんの家庭水田構想に出会ったことが大きかったんですが、田んぼをやってみたいという気持ちは、家庭水田のことを知る前から、心のどこかにあったような気がしています。
いよいよ本格的にコメづくりのシーズンに入る中、あらためてその気持ちを備忘録として言葉にしてみたいと思い立ったので、少しばかり書いてみることにします。今年は「田んぼ1年生」を仕事と両立しながらやっていくことになるので、大げさに言えば決意表明のようなものにもなるかもしれません。
フィジカルで、クリエイティブな農の営みに触れる。
まず田んぼへの挑戦を語る上で欠かせないのが、畑のことです。
昨年から家の裏のスペースで野菜づくりをはじめたんですが、想像以上に夢中になりました。お隣さんに貸していただいた耕運機を使って土を起こしたり、せっせと雑草を抜きながら少しずつ柔らかくなっていく土の感触を確かめてみたり、トマトを育てるための支柱をつくるためにノコギリで竹を切ってみたり、一つひとつが僕にとってはじめてのことで、とても新鮮でした。
そうやって時間を忘れて作業に没頭していたら、あっという間に日が暮れてきますが、その日のビールとごはんは本当に美味くて、身体全身に染み込んでいくような気がします。そして翌朝目覚めたときには、身体の節々に疲れが残っているものの、頭の中はどこかスッキリしていて、心もほぐれたような感覚になります。
とは言っても野菜づくりに関しては素人なので、最初は苗のポットからぜんぜん芽が出ない、なんてこともありましたが、とにかく色んなやり方を試してみることがおもしろさの秘訣です。昨年ナスを育てた時には、植える場所やタイミングをいくつか試して、育ち方の違いを観察してみたりもしました。
ある日には、ふと畑の作業をのぞきにやって来たお隣さんとの雑談から、知恵や道具を借りることもあったりして、野菜づくりはけっこうクリエイティブなものかもしれない、そんなことにも気づきました。
小さな畑をきっかけに、フィジカルでクリエイティブな農の営みに触れ、それが自然と自分の生活のリズムの中に刻まれていったことは、コメづくりにも踏み出す後押しになったと思います。
島の景観をつくる人になる。その小さな一歩目として。
そして畑での野菜づくりだけでなく、田んぼでコメづくりをしてみたいと思った理由が、海士町の景観にあります。
島に移住してからは、仕事が終わった後の夕方の時間や、土日の朝に家の近くの田んぼの畦道をランニングすることや、散歩をするのが習慣になっているのですが、稲が青々と育ってきた夏の時期に、風が吹いて一面が波のように揺られる田んぼの風景の美しさに触れるとき、本当にこの島にやって来てよかったと心から感じます。
そんなとき、西村佳哲さんの「ひとの居場所をつくる」という本を読み返していて、ふとこんな一節が目にとまりました。
田園の景観には、農家の人々の暮らしぶりがあらわれている。兼業農家が多ければそういう風景になるし、専業農家の多い地域には、その関与の内実がそのままあらわれるんですよ。それは都市部のまち並みにおいてもまったく同じ話で、人々の暮らしぶりがまちの景観にあらわれている。
わたしたちが毎日繰り返している、ごく他愛のないことの積み重ねが文化であり、景観をも形づくる。
兼業や専業という二者択一、二項対立で捉えないようにはしたいのですが、この文章を読み返す中で、本当に小さなところからでも、この島の景観をつくる人に自分自身もなっていきたいと思いました。そして、それこそが田んぼをやろうと思った一番の理由であると言っても過言ではありません。
正直、3年前に27歳で海士町に移住した時には予想もしなかった展開ではあるのですが、3年間島で暮らした時間の積み重ねが、自分にそう思わせてくれたのかもしれません。だから移住することに、何か最もらしい理由なんて必要ないとさえ思えてきます。理由は後からいくらでも付いてくるし、きっとそれでいいんだと。
ふらっと寄り道したくなるような田んぼに。
そんなこんなで、コメづくりをはじめようと思った理由をあらためて言葉にしてみると、ミクロなところからマクロなところまであるわけですが、そんな想いを備忘録として頭の片隅に残しながら、ゆっくりと肩の力を抜いてやっていきたいと思います。
なんか下手くそだけど一生懸命やってるな、案外楽しそうにしてるからちょっと手伝ってみようかなとか、それこそ勝手口のような感じで、ふらっと寄り道できるような田んぼになるといいなあ。
そんな記録をamatteにも書いていきたいと思います。